上町から松屋町にかけて東西に延びる約800mの商店街のうち、谷町から松屋町の間の300mほどのエリアが空堀商店街振興組合です。
大正時代からぼちぼちと店が集まり始め昭和20年に商店会が結成され、昭和37年の振興組合法の制定と同時に「空堀商店街振興組合」となり現在に至ります。
商店街の成り立ち
太閤秀吉の時代の大阪城の南惣構堀の遺構上に位置し太平洋戦争で多大な被害を受けた大阪市内でも奇跡的に焼け残った場所、ゆえに商売の灯をどこよりも早く灯すことが出来た大正・昭和の香りを残した愛すべきレトロな雰囲気を持った商店街です。
商店街内の中ほどを過ぎたところから断層の高低がある長い坂道の稀有な商店街でもあります。
ア-ケ-ドの屋根は高く太陽光の明るさを透過する屋根となっていますので昼間の商店街はLED蛍光灯をつける必要がなく道幅も広いのでとても開放感に満ちております。
空堀商店街振興組合の位置は谷町筋から松屋町筋に向けて東西に延びております。丸い形状のア-ケ-ドの屋根が「振興組合」です。谷町筋から入って「はいからほり」と書かれた三角屋根のア-ケ-ドは「協同組合」さんで同じ空堀商店街でありながら「組合」が違っております。
谷町筋側から入って三角の屋根を過ぎると丸い大きなア-ケ-ドの屋根が見えてきます。そこから松屋町筋までが「振興組合」ですがその丸い大きな屋根は、まるでサ-フィンをするときの波のチュ-ブのように見えるので、一度訪れた時にはご鑑賞いただけたら良いかと存じます。
(空堀チュ-ブと文責者は勝手に呼んでおります)
形の違う三つのアーケードが
できるまで。
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いち早く振興組合へと移行
法人格である空堀商店街振興組合は振興組合法が制定された昭和37年にいち早く振興組合へと移行いたしました。それまでは「空堀商店会」という任意の商店会であったと記録が残っております。長い300mのア-ケ-ド
法人格の振興組合のア-ケ-ドの建設には補助金が自治体から出るのですが空堀商店街振興組合がア-ケ-ドを建設する当時にはまだ、その補助金の制度は出来ておりませんでした。長い300mのア-ケ-ドはその当時の組合員の自費100%によって建設され総工費は3億2000万円です。全額ではありませんが無利子で自治体からお金を借り、その後20年の長い時間をかけて毎月毎月組合員からお金を集めて返金していました。当時の組合員の負担の大きさ
今なら75%は自治体が補助してくれます。組合員は25%の負担で良いのです。当時の3億2000万ですので、それぞれの組合員の方には相当な負担であったことはうかがい知れます。その建設費とは別に組合費としてア-ケ-ドの電気代・維持費も徴収していました。丸屋根ア-ケ-ドの補修
当然ではありますが、ア-ケ-ドの建設については一般の方はもちろん新規出店者の方も詳しく知らないことが多いです。空堀商店街振興組合の丸屋根の大きなア-ケ-ドも経年劣化による補修をいたしました。その時にも組合費が使われました。補助が出たとはいえ、丸屋根のポリカーボネートの張り替えにも相当な額のお金が必要でした。張り替えたことによりとても明るい商店街に生まれ変わりました。張り替え前はポリカーボネートの表面が魚のうろこのように剥がれ、色も黄身がかって汚い有様でした。
この張り替えの補助を受ける際にも組合員の有志が無償で何度も何度も自治体に足を運び申請を受けに行ってくださいました。本当に有難いことです。「空堀チュ-ブ」
空堀商店街振興組合の「空堀チュ-ブ」この大きな丸屋根のア-ケ-ドに見えない多くの苦労があることを知っていただきたくこの文章となりました。空堀商店街振興組合は「挑戦と協力」をモット-にこのア-ケ-ドを維持・発展させていこうと思っております。ア-ケ-ドの補修について(2019年現在)
・ア-ケ-ド内部の再塗装(経年劣化) ・支柱をステンレスで囲う補修(ペットのおしっこによる腐食) ・ポリカーボネートの交換(経年劣化) ・屋根の開閉装置交換補修(経年劣化) ・電灯のLED化(器具の交換) ・防犯カメラの設置 ・AEDの設置